紀子の食卓 --昨日不自然家族について--
以下、ネタバレ注意報。
吹石一恵さんが主演。
私は彼女の素朴な演技が好きである。この映画のなかでは、過激なシーンが差し込まれてくるけれど、吹石一恵さんの演技が、いい意味での箸休めになる。
内容は正直いってグロテクスなものだ。
機能不全家族、とまではいかないけれど、昨日不自然家族とは言えるかもしれない。そんな家族の物語である。
昨日(過去)は不自然なものだ。言い換えれば人工的なものだ。
歪められたり、美化されたり、重みづけも変わっていく。
悲しいかな、家族の記憶は、構成するメンバーひとりひとりが違うものを持っていて、その溝が深ければ深いほど、絆は肉体的なものではなくなり、観念的なものになっていく気がする。
家庭とは、円満とは、幸福とは…。
言葉に変換できるものが看板のように家庭のなかで幅をきかせはじめたら、黄色信号点滅だろう。
血の通わない家庭に、血を通わせる行為、その極みが血を出すこと出させることなのかもしれない、とまで思わされる。いけにえにより、家庭の中に血を…。血を…。
これもまた観念的な話になってきた。
映画のラストシーンで、吉高由里子が凄みのある演技をみせる。
園子温監督も絶賛(たしか「他の役者を圧倒する演技」だとか)という噂だけれど、私は正直、尖りすぎだと思ってしまった。
と思いきや、ソースおいかけてみて、今は土下座をしている(脳内で)。
当時の吉高さん演技は素人レベルだったらしい。監督の演技指導の結果、あの演技につながったようだ。
だとしたら、すごい話だ。
ただ、あのシーンでは、他の役者たちが吉高に押されているのが画面を通しても伝わってくる気がした。
吉高の演技の力が強すぎて、相対的に周りの役者の演技が無になってしまった状態とでもいおうか。役者が「すごい」って吉高を見ている。役者が素になってしまっている。
結果、画面全体では白けてしまっていたような。残念なことだが、そこまで監督も想像できなかったのかもしれない。
あそこは吉高をもっとアップにして、吉高の演技の後、他の役者のセリフは入れないほうがよかったというレベルである。
総評) 私はけっこうおもしろかった。タイトルと内容のギャップに驚いた。